私はいかにしてエスノメソドロジストとなり続けたか
高校生のころは、ジャーナリストになりたいと思っていた。
そのため、大学はマスメディア系を学ぶことができるところを探した。(今にして思えば、ジャーナリストになるためには、必ずしもマスメディアを学ぶ必要はないのだが。)私が入学し、卒業した大学では、確かにマスメディアを学ぶことができた。私の出身学科は、実質的には社会心理学科と言ってもいいのだと思う。実際、私の指導教員も社会心理学科の出自であるし、他の教員も社会心理学系の実績が豊富なかたがたである。ご存知の方も多いかと思うが、基本的に心理学と名のつく学問は、統計学をベースにした研究が主である。心理学は物理学に代表される法則科学を基にしており、しかるべき「仮説」があり、実験や質問紙調査によってデータを収集、コーディングし、統計的検定によってその仮説が支持されるか棄却されるかを検証する。心理学部を自然科学部から独立させようとした大学に対し、分離反対運動を展開し、中止させたことを誇らしげに語っていたある心理学者の自伝(残念なことに失念した)を読んだことがある。彼らにとっては、データが一般化可能な信頼性のあるものかどうかが重大事であり、一般化可能された心理モデルは未来を予測することができる(らしい)。しかし、どうにもこうにも…。佐伯と松原の「心理データは「従属変数」を「独立変数」の加法的結合で表す統計的モデルで表現し、統計的検定にかけて、その適合度を「検証」するという、「関数主義」だけが、何十年も前から今日に至るまで変わることなく延々とつづいている」(2000:9)という指摘は、私の当時の実感をうまく表わしていると思う。
大学の授業がつまらなくなり、日本放送作家協会が主宰するフリーライタースクールにも通ったりしてみた。半年で八万円と値段も手ごろで、アルバイト代から何とか捻出できた額だった。ここでは、隆慶一郎の弟子で漫画『花の慶次』の企画にも携わった麻生先生などから直接ご指導いただいたり、貴重な経験をさせてもらったのだが、ここではどちらかというとフィクション作家の養成に力を入れており、当然だがアカデミックさは欠けていたように思う。
そんななか、私の師匠が私の出身校にいたのは幸いであった。実は、学部の2年生くらいまで、私は後に師となるM先生を避けていた。あまりに学生の間で評判が悪かったからだ。その評判の悪さは指導の厳しさに帰属する。課題は多い、コメントは辛い、授業で使用される用語が難しくてわけがわからないなどなど。私にとって、当時のM先生についての認識とは、インタビュー法(この授業は2年生必修だったので履修せざるを得なかった)を熱心に教えてくれる先生というくらいでしかなかった。ちなみに、彼の授業の課題で何でもいいから人の趣味についてのインタビューをしてくるというものがあり、私はドラクエをやるのが趣味だという人(現在の私の妻である)にインタビューし、RPGというゲームがどのようなゲームでいかに面白いか、ドラクエがいかに楽しいかをとにかく語ってもらい、それをまとめた。この課題について、実際の出来がどうだったかどうかはよくわからないが、とにかく文句なしの高評価をいただいたことは覚えている。今にして思えば、「役割を演じる」というシンボリック相互作用論を連想させるようなゲームの趣旨と、そのようなものが世の中に存在しているということを伝えることができたこと、その面白さを引き出すことに成功したことなどが、彼の琴線に触れたのだろう。
さて、どうしたことか、学部3年になると、私は希望もしていないのにM先生の演習クラスに配属された。そこでしょうがなくM先生の演習クラスに参加していたのだが、彼の言っていることは、他の教員に比べ、とてもまともな気がした。M先生自身も社会心理学が出自なのに、ことあるごとに質問紙調査や心理学実験を批判していた。後に分かることだが、彼のお気に入りはグールドーの『人間の測りまちがい』である。そこであるときオフィスアワーを利用して、彼の研究室を訪ね、話をしてみた。自分も質問紙調査には興味がなく、かといってセンセーショナルな記事しか書かないマスメディアにも興味がなく(このころからジャーナリストへの関心が薄らいでいく)、もっと日常的な人びとの生活について勉強していきたいと。するとM先生から薦められたのがGoffman,E.であった。
このころ、私はどのような本を読んでいたかというと、実は現象学についての本を趣味として読みあさっていた。なぜ現象学かは今にして思えばよくわからないのだが、村上春樹(当時大ファン)についての評論を読んだのがきっかけだったと思う。その評論家の現象学を使った村上春樹読解が面白く、よくわからないなりに現象学を勉強した。また、現象学は「ジャーナリストになりたい」と思っていた当時の自分の関心にもあっていたように思う。「自分の経験したことをいかにして言語化していくか」ということに、もっともうまく回答してくれそうな学問が現象学だったように思えた。
さて、学部4年への進級をひかえたころ、「今のままではどこへいっても通用しない」と思うようになり、大学院進学を決意した。M先生に相談したところ、では大学院の授業を聴講しなさいとの指示が出たので、大学院のゼミに出席してみた。そこで輪読されていたのがGoffman,E.の『Forms of Talk』である。Goffman,E.といえば演技論ということで、多少はGoffman,E.について理解しているつもりだったが、『Forms of Talk』は全くわからなかった。ちなみに、このゼミで囁かれていた噂が、「会話分析はもっと難しい」というものだった。私の中で、このとき「こんなに難しいものよりも難しいのだったら、会話分析を勉強するのはしばらく先」という態度が固まったように思う。ただ、幸か不幸か、読書会で同時並行的に読んでいたMiles & Hubermanの『Qualitative Data Analysis: An Expanded Sourcebook』は普通に読めた。大学院に進学しても、なんとかなるかと思ってしまったわけだ。
大学院1年のときから修論は感情を扱うと決めていた。なぜ感情かは、卒論で一応扱っていたからだ。当時は「キレる」という現象に興味があった。ここで出会うのがホックシールドの『管理される心』である。もっとも、翻訳が出たのは原文で読み終わったあとでだが…。私の関心は、まさに「どのようにして人は感情というものを管理するか」であり、ホックシールドのこの本は何度も読み返した本である。「感情を社会学的に扱う」といった志向も説得力があると感じた。フィールドは看護を選択した。看護師の仕事こそが感情労働そのものだと思えたからだ。スミスの翻訳が出たのが2000年で、武井さんの本が出たのが2001年だったが、まさにその時期に、私は10人の看護師さんとインタビューをし、看護助手として10カ月間、ある病院で働かせていただいた。いわゆる参与観察も行ったのである。また、今ほど盛んではなかったと思うが、いわゆる脳科学における「感情」の扱われ方についても一からお勉強した。ろくに生理学などの基礎もない人間のお勉強なので、せいぜい脳科学者が一般読者に向けたようなものを読んだにすぎないが、それでも感情を扱うときに、脳科学的なものも見ておきたいと思ったのだろう。最終的には、ホックシールドの感情労働の話やゴフマンの当惑論のアイデア、インタビュー調査や参与観察から得られた知見、脳科学における感情についての言説を突き合わせることで、何か面白いことが言えるのではないかと思った。しかし、それなりに苦労して書いたにもかかわらず、できあがったものは散々であった。うまくいかなった理由を挙げればきりがないのだが、このころの私は論文の書き方自体がよく分かっていなかったのだろう。今でもわかっているかどうかは怪しいが…。いつかは同じネタでこの修論を供養したいとは思っているのだが、しばらく先の話になりそうである。
修論を書き終えて、率直な感想は二つであった。一つは、人びとの経験をインタビューによって引き出すという方法に自分が限界を感じたことであり、もう一つは録画などを行わない参与観察によって人びとの経験を描きだすという方法に自分が限界を感じたことである。誤解してほしくないのは、それぞれの方法論に限界を感じたのではなく、これらの方法を使いこなせない自分の能力に限界を感じたのである。そんな私に博論を書く気力などあろうはずがない。D1のときは、ろくに調査もせず、修論を見直そうともせず、自動車免許などをとりにいったり、塾講師の仕事にいそしんだりしていた。
ただ、本だけは一応読んでいた。このときに出会うのがGoodwin,C.(1981)やHeath,C.& Nicholls,K.(1986)、Heath,C.& Luff,P.(2000)である。とりわけGoodwin,C.のD論には感動した。自分もこういうD論を書きたいと思った。医療というフィールドにビデオカメラを持ち込んで、このような研究ができれば面白い研究ができるかもしれないと思ったのである。しかしここでの難点は二つ。一つはどのようにしてフィールドへアクセスして良いかわからないということだった。修論で病院のフィールドワークをしたとき、ボランティアとして受け入れが可能かどうか、駄目もとで10通ほど病院へ手紙を出した。このときは、幸運にもある病院で受け入れていただいた。しかし、今回はビデオカメラである。これは個人的なコネクションがなければ相当難しいと思われた。もう一つは、仮に映像データを収集できたとしても、それをどのように分析して良いかがわからなかった。この時点である本を使って一度エスノメソドロジーを勉強するのだが、正直言ってさっぱりわからなかった。2003年ころの話である。
この時点で私は就職を決意する。どう逆立ちしてもD論など書けそうになかったし、20代のうちに就職しないと、いわゆる一般企業には就職できない気がしたからだ。シンクタンク、調査会社、専門学校、学習塾などを片っぱしから受験した。幸いいくつかの好意的な反応をいただき、その中からある専門学校に就職した。この専門学校は、ある福祉系大学の系列の専門学校で、福祉、医療、保育の専門職者を養成する学校である。もっとも、組織自体はかなり問題含みであり、選考過程でそれは勘付いた(そして結果的に私の予感は的中する)のだが…。ただ、そうした悪い予感をさし引いても、自分にとってはかなり好条件のように思えた。頑張りようによっては大学へ登用されるかもしれない、事務職兼任だが授業も持たせてもらえそう(教歴になる)、フィールドが近いのでいずれは調査協力を要請できるかもしれない、経済的には安定する、などなど。実際に働きだしてみると、給与は働き始めてから4年くらいはそこそこ良かった。しかし、給与が良かったのは、基本給がよかったわけではなく、残業代と休日出勤代がたっぷり出たためである。もちろん、研究どころではない。授業に関係しそうな社会福祉関係の勉強をするのが、ぎりぎりの線である。それでも、そのような勉強ができるのはまだましで、そのほとんどが事務仕事に忙殺された。ちなみにこのころ結婚する。
就職4年目で転機が訪れる。直属の上司が退職したのである。あることがきっかけで当時のトップの逆鱗に触れたためである。これにより、この上司の仕事だったカリキュラム編成と時間割の組み立てを、私が行うことになった。ここで私は、大幅にカリキュラムを変更し、できるだけ多く私が授業を担当できるように時間割を組み替えた。さらには、優秀な事務仕事をできるスタッフも増え、私の仕事も事務職9:教職1の割合が、事務職3:教職7くらいになった。これで少しだけではあるが、勉強する時間が確保できた。
実は、このとき、改めて勉強しようと思った一人がブルデューである。といっても、ブルデューについては、大学院の先輩が勉強していて、私はそれにお付き合いして勉強していた程度である。ただ、ブルデュー理論のもつ説得力にはそれなりに関心があったし、なにより量的調査と質的調査をもっとも上手に使いこなしているのもブルデューな気がした。しかし、私は早々にブルデューについて勉強することをあきらめる。一つは情けない話だが語学的理由による。ドイツ語であれば、頑張って勉強しなおして読もうという気にもなるのだが、フランス語はお手上げであった。もう一つは、ブルデューと直接関係するわけではないが、いわゆる量的調査と質的調査(とりあえずGTAをイメージしてます)そのものについてである。量的調査は心理学を勉強したころのアレルギーがあった。質的調査についてだが、修論で経験した苦い思い出がある。それに仮説検定型の研究にせよ、仮説構築型の研究にせよ、人間の行動をモデルによって説明すること、人間の行動を説明するためのモデルを作ることに、若干の抵抗があった。これについては未だに抵抗がある。別な言い方をすれば、実証主義をどう考えるかという問題に行きつくのかと思う。正直に言えば、実証主義について、修論を書き上げるまで疑ったことはなかった。研究することは、仮説や理論などをデータによって検証したり実証することに他ならないと思っていた。しかし、修論を書いたあたりから実証主義についての私の考え方が揺らぐことになる。
それはさておき、この時点で研究テーマにしたのが社会福祉士倫理綱領である。これまで自分の授業などで、社会福祉士倫理綱領を扱うことが多く、それなりに思うところもあった。そもそも、卒論の「キレる」にしても、修論のときの感情労働にしてもそうなのだが、私の関心というのは、人びとの行動規範のようなものに収斂されなくもない。ソーシャルワーク職能団体の行動規範について考えてみるもの悪くないような気がした。そこで、ソーシャルワーク領域における倫理綱領の日米比較などを行い、倫理綱領に期待される国家間の違いなどをまとめ、学会誌(紀要みたいなものだが)に投稿したりした。
しかし、こういったものを勉強し始めて気付くことがあった。日本にしても、アメリカにしても、いかなる倫理綱領を作成したところで、対人援助専門職者の倫理問題はなくならない。虐待を禁止したところで、虐待問題は生じる、などなど。よくよく考えてみれば、法律にしたってそうである。窃盗をしてはいけないという法律を作ったところで窃盗はなくならない。では窃盗犯がそのような法律を知らないかといえば当然知っている。そのような窃盗犯は十分に規範が内面化されていなかったと言ってしまうと、「規範が内面化されているかどうか」ということは、その人の行動によって説明されることになる。つまり、人間の行為や行動を、規範の内面化によって説明することには限界があるということに気付いたのであった。
さて、どうしたものか。
ここで戻るべき場所は、Goodwin,C.のD論な気がした。自分はそもそもああいう論文が書きたかったのではなかったか。幸い手元には、ある柔道整復師の先生が問診場面の見本を見せるという趣旨で学生相手に問診を行い、それを撮影したビデオがあった。実際に、これについては、簡単にまとめたものをあるところで発表もしている。もう一度あの論文を読み直し、そしてあのビデオをもう一度見直し、分析しなおしてみよう。そう思い立ったのが、2008年ころの話である。
この時点で、Goodwin,C.が依拠していると思われるエスノメソドロジーを、もう一度勉強しなおしてみようと思うようになった。ここで手に取ったのが、西阪先生の『相互行為分析という視点』と、当時発売されたばかりの『ワードマップ エスノメソドロジー』である。前者は、どのようにビデオ映像をすべきかという、実際の分析方法が知りたくて手に取った。後者は、そうした分析手法を裏付けるような理論枠組み(後にエスノメソドロジーを理論枠組みと呼ぶのは適切でないとわかることになるが)を知りたくて読んだ。(ちなみに前者は、大学院生のころに一度図書館で読んだのだが、正直よくわからなくて本棚に戻した。)この時点で手に取ったのが、この2冊だったのは幸いだったように思う。今でもエスノメソドロジーを学ぼうと思っている人に薦めるのはこの2冊である。あとは、おそらく他のエスノメソドロジストと同じような足跡をたどっているのだと思う。ガーフィンケルを読み、サックスを読み、シェグロフを読み、クールターを読み、メイナードを読み、ヘリテッジを読み…。
このあたりで、接骨院でのフィールドワークを行い始める。とにかくデータが欲しい。できればビデオデータが欲しい。使えるコネクションはすべて使い、調査協力いただける2つの接骨院と巡り合えた。フィールドワーカーにとって、これほど幸いなことはない。この2つの接骨院の院長には、感謝してもしきれないほどである。実を言うと、当初は接骨院ではなく、病院でのフィールドワークをしたかった。しかし、あることに気付く。私が柔道の練習で、いわゆる突き指をしたときのことである。私の当時の職場には、常時柔道整復師が4,5人いたので、ある先生に施術をお願いした。その先生は私の指に包帯を巻いてくれた。いわゆる固定による保存療法である。そのとき、私はその先生から「指を曲げてください」と言われたので曲げた。巻いている途中でも、「もう少しこの角度で曲げてください」といった指示を受け、微妙に動かしながら包帯を巻かれていった。このとき、「柔道整復師の施術は相互行為によって達成されている」ことを実感した。しかも柔道整復師の施術はこうした外傷に限定されるため、たとえば内科医などの仕事よりも、観察可能な施術がなされるのではないか。それに柔道整復師についての研究はあまり聞いたことがない。
こうしてエスノメソドロジー絶賛勉強中&フィールドワークの最中に、奈良でエスノメソドロジーについてのシンポジウムが開かれ、そこで『ワードマップ エスノメソドロジー』の著者たちと接点ができた。このとき、『ワードマップ エスノメソドロジー』の著者の一人から、「柔道整復師の研究はだれもやっていないから、EMやりたい放題ですね」と言われた。そうか、そういうものか。奈良での懇親会では一人で興奮しており、その日の夜は興奮のあまり眠れなかったほどである。また、独学では修得困難と思われる会話分析について、日本を代表する会話分析者たちから直接指導をいただける機会(しかも無料)にも恵まれた。これについては先生方に感謝してもしきれない。
書きたいことはかなり省略したが、おおよそ自分がエスノメソドロジーにたどりついた足跡は追えているように思う。エスノメソドロジーという研究プログラムのおもしろさについては、自分の研究の中で示せれば良いと思う。
<参考文献>
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