なぜ「社会実験ではないか?」という陰謀説を唱えたくなったのか?

 なにかと話題になっている「退職手当条例改正」(改悪?)に伴う教員の早期退職問題について、(議論をしっかりおえていないが)大筋での理解をもとに、表題の件について話をする。

このニュースについて念のためひとつだけリンクを貼っておく。
http://www.tv-asahi.co.jp/ann/news/web/html/230125085.html

 「退職手当条例改正」により、退職金のもらえる金額が年度末までに勤めた場合と早期退職をした場合、合計では早期退職をしたほうが多い金額(70万〜100万くらい?)をもらえるらしいというニュースを聞いた時点で、「そりゃ早期に退職するだろ」ということと、「特に学校勤めの人はかわいそうだな」ということが、ほぼ同時に思いついた。そしてこの制度設計ミスの問題は、特に学校勤めをしていた早期退職者に対する風当たりが強くなり、即時に教員の道徳的・倫理的問題にすり替えられるだろうなとも思った。だれでもここまでは簡単に思いつくだろう。つまり、こんなに簡単にいろんなことが見通せる制度設計なのに「条例改正」に踏み込むということは、そういったことを予想したうえで、あえて「条例改正」に踏み込んだと言いたくなる。
 他方で、退職金(つまり公的資金)を管理運用する人間にとっては、たくさんの金額を逆に支払わなくてすむようなやり方を考えるだろう。実際この「条例改正」の趣旨は、「退職金を多く支払いたくない」ということである。年度末を待たない「条例改正」は、「クラス担任をしている教員が早期退職を申し出にくいだろう」ということも想像に難くない。いってみればこうした教員に期待される道徳的倫理的態度によって生じる心理作用を利用し、早期退職を踏みとどまらせ、「条約改正」の狙い通り、支払うべき退職金を少しでも安くあげる狙いがあったのではないか。
 つまりは、「教員の道徳的倫理的態度はお金で買えるのか?」ということを、誰かがためしたかったのではないかと言いたくなった。これが筆者のいう陰謀説である。ちなみに筆者はここで「陰謀」という言葉を、「誰かを貶めたり苦しめたりすることになったとしても、意図的にしかしこっそりと謀をすること」くらいの意味で使っている。
 ことわっておくが、基本的に筆者は陰謀説というものが好きではない。扱うのも聞かされるのも苦手である。もうひとつ言えば、これによって犯人探しをしたいわけでもない。筆者が問いたいのは、「(陰謀説が苦手な)筆者がなぜ陰謀説を唱えたくなったか?」である。
 口説いようだが、この問題は制度設計ミス以外のなにものでもないと思っている。このような「条約改正」によって、「早期退職するか年度末まで勤めるか」という選択に苦しむ学校勤めの人びと(だけでもないだろうけど)が出てくるのは、誰の目にでも明らかである。百歩譲って設計時点ではこのようなことに気づかなかったとしても、運用してみれば教員の早期退職が「問題」になったことは明らかだ。
 さて、ここで常識的に考えたい。人びとが「明らかなミス」をしたとき、なにをするのだろうか。期待されることは、「謝罪」や「修正・修復・訂正」が後続することではないか。逆に「明らかなミス」をしているにもかかわらず、「謝罪」や「修正・修復・訂正」が続かなければ、人びとは「ミスをした張本人がミスであることに気づいていないのかな」と思うか、「わざとやった」と思うかのどちらかであろう。
 前者であるが、この可能性はなさそうである。リンク先に「文科省は、これらの結果を全国の教育委員会に通知するとともに、退職者が出た場合は、児童生徒への教育活動などに支障が生じないよう、代わりの教職員の確保や保護者らへの説明など適切な対応をするよう求めました」とある。つまり、その妥当性はどうであれ、何かしらの対応を講じているということは、そこには対応しなければならないトラブルがあるということを文科省はわかっているのだ。ここで、この対応の妥当性についてちょっとだけ考えてみよう。この文科省の対応は、上記で言うところの「修正・修復・訂正」に該当しそうであるが、妥当な「修正・修復・訂正」ではない。ここでは、「早期退職者が年度末まで何らかの形で学校にいることができる策を講じる」か、「年度末まで学校に勤めても、退職金が早期退職者と同額程度の補填」がされなければ、妥当な「修正・修復・訂正」にはならない。退職金が条例によって操作されているいじょう、文科省には後者の対応はできそうにない。文科省にできそうなのは前者であるが、ご丁寧に「『代わりの』教職員の確保」と書いてある。そしてあえて書くが、長年勤めた教員をこのような問題によって苦しめてしまったことに対する「謝罪」など、だれからも全くない。
 したがって、後者の「わざとやった」という直観が残されてしまうのである。

つまり、

Q「(陰謀説が苦手な)筆者がなぜ陰謀説を唱えたくなったか?」という問いに対しては、

A「明らかな制度設計ミスに対するあるべき『謝罪』や『修正・修復・訂正』がなく、したがって『教員の道徳的倫理的態度はお金で買えるのか?』という社会実験を、誰かが『わざとやった』と直観したから」

という回答になる。