「ママ、ち○ちんない!」と「タオルとって〜!」

子育ては驚きの連続であり、人間及び人間の営みを研究するものにとって、その驚きは糧となる。子どもとお風呂に入っていて、驚くべき子どもの発話が二つあった。それが表題の二つの発話である。

(1)「ママ、ち○ちんない!」
この発話は子ども(男)が2歳になるかならないかのころ、家族3人でお風呂に入っていたときの話である。「○○(子どもの名前、自分で自分の名前を言っている)、ち○ちん」、「パパ、ち○ちん」、「ママ、ち○ちんない!」と叫んだのである。
これは私にとって驚きの発言であった。何が衝撃かというと、「Xがない」という不在の報告ができたことへの衝撃であった。ひとつ断っておきたいのは、不在の報告ができたからわが子は天才だと言いたいわけではない。2歳になるかならないかの子どもであれば、おそらく誰でもこのような発言が可能あろう。
「Xがない」という不在の報告は、とても興味深い報告である。というのも、その場に「ないもの」はたくさんある。というか、「ないもの」のほうが圧倒的に多い。不在の報告をするためには、「あるべきもの」が想定されていなければならない。私が驚いたのは、この「あるべきもの」を想定する能力に対してである。(参考:「観察可能な不在」についてはSchegloff 1968=2003及び西阪1997:70-72)
もう一つだけ。「ママ、ち○ちんない!」という不在の報告は、真なる報告である。しかし、子どもは真なる報告をしたいわけでもなかっただろう。というのも、くどいようだが不在の報告は、不在のものが大多数であるゆえ、たいがいの不在の報告は真なる報告である。(これについても参考となるのは西阪1996:62-64あたりの議論。ちなみにこの『メソッド/社会学』という本はいろんな意味で興味深い本である。)ないものはいくらでもあるわけで、真なる報告をしようと思えば「リンゴがない」「わんわんがない」「くつがない」というように、いくらでも可能である。単なる私の思いつきであるが、これくらいの月齢の子どもによる不在の報告は、子どもの「驚き」そのものではないかという気がしている。自分にもついていてパパにもついているものが、なぜかママにはないのである。そのことに気付いた子どもはさぞかし驚いたことだろう。

(2)「タオルとって〜!」
二つ目もやはりお風呂での子ども発話である。子どもはこのとき2歳8〜9カ月で、状況はだいたい次のとおりである。

私:しまった!
子ども:(お風呂場のドアを開けて)ママ〜、タオルとって〜!

といった感じである。おおよそこのときの会話はトランスクライブできていると思う。簡単に説明しよう。私が子どもと二人でお風呂に入るとき(っていうか最近は専ら私と子どもの二人でお風呂に入っている)、必ず持ち込むのは子どもの体をぬぐうための小さなハンドタオル2枚である。で、わたしはしばしばこのハンドタオルを忘れる。そのたびに、お風呂場の中から「すみませんが、タオル取ってください」と妻に呼び掛けるといったことをしていた。そんななかでおきた会話の連鎖がこれである。
ここでは単に会話の連鎖が生じただけではなく、次のような行為も生じている。うちの子どもは、私の「しまった!」という発話を聞いて、1)パパは何か忘れたこということを表現したと理解した、2)忘れたものがいつも使っている小さなハンドタオルであることを確認した、3)私に代わってママに「タオルとって〜!」と依頼した、という少なくとも三つの行為をしている。
私は「しまった!」という発話をしただけなのに、この2歳児はこのような行為を連続して、しかも一瞬のうちにしたことに驚いた。ピアジェは自分の子どもの観察を通して研究を深めたらしい。人間及び人間の営みを研究するものにとっては、理解可能な逸話である。

絶え間なき交信の時代―ケータイ文化の誕生

絶え間なき交信の時代―ケータイ文化の誕生

相互行為分析という視点 認識と文化 (13)

相互行為分析という視点 認識と文化 (13)